日記 2005年9月

9月2日(金)短期隊員帰国
朝から雨が降ってしまいました。短期隊員がお土産を買うというので一緒にダカ一ル市内をまわりました。私も自分の帰国の時のお土産を何にしようかな〜なんて考えていました。
午前中の雨の影響で道路の状況が悪いといけないので、短期隊員は早めに空港へ向かいました。私も見送りに行きました。任地での生活は1週間だったけど、ちょうど雨季で道路の状態が悪かったり、断水・停電が多かったりとかなり大変だったと思います。お疲れ様でした。

9月5日(月)
保健省へ向かう途中、乗っていたタクシ一が他の車と衝突しました。それほどスピ一ドが出ていなかったのであまり衝撃はありませんでしたが、車がちょっと凹んでしまいました。運転手は動転してしまっていて、私に「降りろ」と言ってその場を立ち去ってしまいました。全然知らないところで置き去りにされた私はしばらく周りを見渡して適当に歩いてみました。もう近くまで来ているだろう・・・と思ったのですがタクシ一に乗ってしまったほうが楽だろうと思って拾おうとしたら・・・
私)「保健省までいくら?」
運)「1500FCFA」
私)「・・・バシッ(車を平手打ち)」
かなり高く言ってきました。もう値段交渉をする気にもなりませんでした。
その先ちょっと行ったら保健省の建物が見えてきて、歩いたらそこから10分くらいでした。
おかげさまで、隊員連絡所(隊員の宿泊施設)から保健省までの行き方がよくわかりました!

9月8日(木)洪水の中、カオラックへ
9月6日〜セネガル、二ジェ一ル、ブルキナファソの3カ国の隊員たちが集まって感染症対策の研修が始まりました。今日はフィ一ルド見学のためにカオラック(私の任地近く)へ向かうというので早朝出発予定でした。集合場所である他国隊員が宿泊しているホテルに行く途中で、激しい雨に降られてしまい私はずぶぬれ状態で到着。ある隊員から服を借りて着がえました。そして出発したのですが・・・
ダカ一ル市内はこんな感じで、どこも水があふれていました。動かなくなってしまった車が沢山あり、道路も通行止めとなったりその先に進むことができない場所があったりして脱出不可能か?と思いました。しかし、運転手はあきらめず道を探し続けてやっと脱出できましたが・・・バスが壊れました。途中で修理してもらいましたが、調子が悪いまま出発しました。やっとの思いで夕方にカオラックに到着しました。



9月10日(土)
昨日は途中でバスから別の車に乗り換えてダカ一ルに戻ってきました。そして、今日研修が終わりどうしても任地に戻りたくて乗合タクシ一乗り場まで行こうとしました。しかし・・・そこまで行くためにタクシ一を拾おうとしたら「あそこは水がいっぱいだから行けない」と、乗車拒否されてしまいました。仕方なく隊員連絡所に戻りあきらめかけていたら別ル一トで帰れることが判明。あまり被害のない別の乗り場へ行きました。4時間くらい待ってやっと乗合バスに乗り、隊員が住むある町へ。初めて行ったので隊員宅を探すのに苦労しましたが、やっと到着。休ませてもらいました。

9月11日(日)
早朝出発して任地に向かいました。昨日からなんだか急に体調が悪くなりました。風邪をひいたようです。任地に到着した時にはかなり疲れきっていましたが、夜にはパ一ティがあったので出掛けて行きました。時々横になって休ませてもらいながらも、セネガルダンスを踊りました。

9月12日(月)
約束をしていたので、セネガル人の友人にかつ丼の作り方を教えました。彼女はキリスト教徒なので豚肉大丈夫です。セネガル流に、大きな洗面器のような容器にごはんを盛り付け、その上から具を載せました。巨大かつ丼の出来上がりです。食べるのもセネガル流(スプ一ンを使ったり、手を使ったり)でした。

9月13日(火)
ガパ村に行ったら、先日短期隊員と一緒に作った石鹸を売って利益があったとの報告がありました。女性たちはかなりやる気になっているらしい。今度は自分達で材料を買うからまた石鹸講習会をやって欲しいとの要望がありました。また、マトロンは村にちょっとしたお産ができる場所を作ろうと考えているそうです。私が帰るまでになんとか作りたいと言ってくれました。嬉しかったです。

9月19日(月)
村に配るための眼軟膏を購入しました。先月短期隊員と一緒にマトロンに使用法と何故必要なのかを説明しました。こちらでは、赤ちゃんの眼の感染が多くみられます。その予防と治療のために出生直後の赤ちゃん全員に軟膏を塗ることが必要です。1本約300FCFA(60円)でした。1回25FCFAと有料ですれば、次の軟膏は村のマトロンが購入できそうです。
夕方〜はNIORO・PAOSKOROに赴任している隊員全員(8名)が集まって活動についての話し合いをしました。他職種との連携活動をどうやっていくか?目標や活動の計画などをどのようにしていくかを考えました。なかなか難しいです。途中までしかできなかったので、話し合いはまた後日ということになりました。

9月20日(火)ODA民間モニタ一訪問
朝から受け入れのための準備をしました。隣に住む同僚がゴザと椅子を用意してくれて、民間モニタ一の皆さんと隊員が話すスペ一スができました。予定よりも出発が遅れたので、こちらにも遅れて到着しました。まず、パオスコト診療所の見学をされました。案内している時、いろいろな質問が出ました。診療所の治療について、1日の患者数、蚊帳販売について、セネガルのエイズについて・・・などなど。あまりにも時間がなかったので、簡単にしか答えられなくて申し訳なかったなと思っています。その後、私の家の横に用意してあったスペ一スで現在やっている隊員の連携活動について話をしました。
ODA民間モニタ一の応募者はかなり多く、倍率は高いようです。選ばれた方々は、滞在数日という短い間に表敬訪問やフィ一ルド見学など沢山のスケジュ一ルをこなしていきます。帰国後、報告書も書くようです。その報告書は、外務省のHPで公開されるらしいので私も読んでみたいです。(セネガルのは今年末くらいらしいです)

←この写真は、ODA民間モニタ一の皆さんに自分達が植えた木を見てもらおうと集まっていた小学生たちです。皆で国家を歌って迎えました。それぞれが小さな黒板を持っています。それには、「私は木が好きです。私はこの木を守ります」と書いてありました。




9月21日(水)PRODEPO会議
また、NIORO・PAOSKOTOの隊員会議をしました。19日の続きです。なんとか目標を設定できました。あくまでもこれは隊員たちの願いという感じです。それぞれ活動をする段階で、村人たちの二一ズを確認していきながらやっていこうということになりました。活動についての話は途切れることがなく続いていきました。私は途中で皆の夕食作りを始めました。皆で協力して「手打ちうどん」を作り、天ぷらと一緒に食べました。なかなかのできでした。

9月22日(木)マトロン研修
K隊員の活動村のマトロン(産婆)に先日短期隊員と一緒に行ったマトロン研修をやってみた。この村のマトロンは、その時遅れてきたので研修を受けることができませんでした。

私一人でしたが、がんばってお産の時のケアについて、マッサ一ジの方法やフリ一スタイルなど自ら分娩台に寝て一生懸命やってみせました。私の説明をマトロンは理解できたようです。眼軟膏についても説明しました。マトロンは熱心に聞いてくれ、他の人に早速私がしたような説明をしてくれました。
その後、自分の村へ行ったら体重測定は延期になったとのことです。なので、村でのんびりおしゃべりをして帰りました。

9月23日(金)
別の村のマトロンにも、眼軟膏を渡した。村長と話をして値段を設定し、始めていくということでした。
私の活動村では、乳幼児体重測定が行われていました。私も途中から見に行きました。そうしたら、なかなかしっかりやっています。以前は赤ちゃんの月齢の計算がなかなかできなかったのですが、なんとか自力でできるようになってきました。記録もしっかりやっています。ここまでくるのに約10ヶ月かかりました。少しずつ少しずつ月齢の数え方をトレ一ニングしてきました。根気が必要ですね。



9月25日(日)村でシネマ
他の隊員たちと一緒にある村を訪問しました。そこで実施した村の調査を私も少し手伝いました。村の畑でとれたオクラを買ったら、おまけにかぼちゃをもらいました。
夜暗くなってから、隊員たちがシネマを始めました。用意したのは、日本の紹介ビデオです。セネガル人たちが特に喜んだのは、「相撲」でした。わ一っ歓声があがりました。セネガルにもセネガル相撲というものがあるから面白かったのかな?
終わった後は、セネガルダンス。かなり疲れていたけれど、皆と楽しく踊りました。




9月27日(火)野菜加工セミナ一見学
村で実施されている食品加工セミナ一を見に行きました。セネガル人の講師が、村でトマトの加工の仕方を教えていました。トマトが採れすぎてしまった時の対処法として、保存がきくように加工をするのです。今日は、トマトペ一ストやホ一ルトマトの瓶詰め、乾燥トマトの3種類作ってみました。




9月30日(金)
村のマトロンと次の石鹸づくりについて話し合いをしました。隣に住むべべロケヤ(赤ちゃんロケヤ:ロケヤは私のセネガル名です)とのんびり木陰で過ごしました。私の腕の中ですやすや眠ってしまったベベロケヤをみていたら、私もかなり癒されました。
この子、かなり「ぶさいく」でしょう。でも、そんなところが「かわいい!」のです。私の大好きな赤ちゃんです。









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